お久しぶりです!
ミーコです。
かなり間が空いてしまいましたが、我が家ではこの夏、第二子の男の子が生まれました。
元気に生まれてくるように、妊娠中「げんちゃん」と呼んでいたので(笑)
ブログネームも「げんちゃん」にしようと思います。
長女きーちゃんともに、どうぞよろしくお願いします☺
今日は、妊娠出産を通して神様が助けて下さったことや感じたことのお話です。
ベストタイミング
臨月のことです。
この夏猛威を奮ったRSウィルスに、きーちゃんもかかってしまいました。
小児科のお医者さんからは、RSウィルスが新生児にうつると命に関わるとの忠告を受け、さらに私にも風邪症状があらわれ始め…
コロナで厳戒態勢の病院で無事生めるのか!?と不安が募りました。
なかなかきーちゃんの症状が良くならないまま予定日直前の健診を迎え、「1週間以内に生まれそうですよ」と言われて、ドキドキハラハラ💦
これはもう神様にゆだねるしかない!
なるべく遅く出てくるようにしてくださーい!!!
と、切実に神様に祈ったところ。
健診の日から1週間たち、予定日を過ぎても生まれる気配はなく。
私もきーちゃんも回復して、保育園の登園を再開した日の深夜未明に、げんちゃんは生まれてきたのでした。
すべて時に合わせて働きかけて下さった神様に感謝します✨
まだ見ぬ未来に希望を持つ
2つめの神様の御働きです。
第一子きーちゃんの時は、お腹に話しかけたり歌ったり、運動したり呼吸法の練習をしたり、しょっちゅう子供のことを気にかけていた私。
今回は日々の生活に追われ、そういったことをほぼできず…
前回よりも赤ちゃんに対して愛着を持ちきれないままの出産となってしまいました。
そのため、生まれた直後はげんちゃんに対してどこか他人のような、よそよそしい気持ちになってしまい、
「上の子の時はあんなに嬉しい気持ちばかりだったのに、小さく頼りない赤ちゃんを前に、こんな気持ちで申し訳なさすぎる…」
「幸せにしてあげられるのだろうか」
「この子がかわいそうだ…」
と、どんどんマイナス思考に😱
病室で一人号泣していました。
今思えばマタニティブルーズだったかもしれません。😂
きーちゃんのイヤイヤ期と赤ちゃん返りで、子育てに自信を無くしていたのもあると思います。
泣きながら、ありのままの不安や気持ちを神様に告げるうちに、
『信仰とはまだ見ぬ未来に希望をもつことだ』
という言葉がぽっと心に浮かんできました。
藁をも掴む気持ちで
「そのような信仰をください!
きーちゃんも必ず良くなるし、げんちゃんにも愛が湧くようになると信じます!」
と繰り返し祈るうち、次第に心が落ち着いて力が湧くようになりました。
現在はどうなったかというと。
げんちゃん、めっちゃ可愛いです!
癒やしです!!らぶです!!!
きーちゃんも、以前より癇癪を治められるようになってきています。
だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
<マタイによる福音書6章34節>
『信仰とはまだ見ぬ未来に希望をもつことだ』
今も心配ごとで心が弱くなりそうな時は、この言葉を思い浮かべます。
命の価値
最後は、私が命の価値を悟った出来事です。
少し暗めの話なので、苦手な方はスルーしてください💦
私は子供ができにくく、流産もしやすい体質(不育症と言います)です。
特に、やっと授かった初めての子の心臓が止まってしまった時はものすごくショックで、
「たとえどんな子だったとしても生きてさえいてくれれば」
と強く思いました。
同時に、神様がどれだけ命を愛しているか、その気持ちを悟るようになりました。
どれだけ私たちを愛しているのか。
存在自体をどれだけ貴重に思ってくださっているのか。
私たちが死んでしまったら、どれだけ悲しまれるのか。
その事が分かった時、どんな状態になっても神様の前からいなくなることだけはしない、と誓いました。
その後、また別に流産をした時には、出血が止まらず救急搬送されました。
事なきを得ましたが、遠のく意識の中で「人ってこんな風に突然死ぬのかも」と思いました。
命が生まれるのは奇跡です。
生きていることも奇跡です。
たとえ自分がちっぽけに思えても、神様は決してそう思われないはず。
自分にも子供にも、だんだん求めるものが多くなってしまうけれど、基本は生きているだけで素晴らしいってことを、忘れないでいきたいです。
今もし、自分に価値がないと思っている人がいたら。
少なくとも神様はそう思っていないということを、信じてみてほしいです。
今日のブログはここまでです。
お読みいただき、ありがとうございました🍀
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